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水戸線をゆく 思い出とともに (2013年6月29日)(2)

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 引き続き、小山駅 9:34発水戸線 友部行き に乗車しています。

 9:48川島駅 を発車しました。


9:50 川島−玉戸 間

玉戸駅 9:51発

 バターどらやき って、美味しそうな響きですね。何を隠そう、私は甘党なのです。私は地元の人ではありませんのでよく知っているわけではありませんが、「たちかわ」 というのはこの地域の老舗の菓子店のようです。茨城県内に7店舗あるそうですが、そのうちの 玉戸店 はこの 玉戸駅 のすぐ近くです。
 この 玉戸駅 が開業したのは 1988年(昭和63年) のことで、水戸線 の中ではこの先の 大和駅 と並んで一番新しい駅です。


9:53 玉戸−下館 間

9:54 玉戸−下館 間

 進行方向右側に、関東鉄道 常総線 の線路が近づいてきました。ここから見ると雑草が茂っていて 道床 は見えませんし、常総線非電化 なので 架線 はありませんし、ということで分かりづらくてすみません。
 私が前回、常総線 に乗車したのは2011年9月のことでしたが、その時はあちらの線路を走る列車の中から、こちらの線路を眺めたのでした。


9:54 下館駅 到着直前

 右側に 常総線 が近づいてきたと思ったら、左側には 真岡鐵道 です。しかも、SL列車 が、今まさに 下館駅 に進入しようとしているではないですか! 下館駅 10:36発「SLもおか号」 に違いありません。真岡鐵道 では、1994年(平成6年) から SL列車 を運行しており、真岡鐵道 を代表する存在になっています。この↑↑写真では 架線柱 が邪魔していてちょっと残念ですが、先頭から

 ディーゼル機関車 + 客車3両 + C12 66

 という編成で、こちらよりも少し早く 下館駅 に進入しようとしています。


9:54 下館駅 に到着します

 到着直前、「SLもおか号」 を追い抜く感じになりました。この時分かりましたが、先頭の ディーゼル機関車 は、DE10 1535 でした。下館駅 では 蒸気機関車 の方向転換はできないため、C12 66 を後方に連結して DE10 が牽引して入線するわけです。
 追い抜きざま、私の近くにいた小学生ぐらいの男の子が、

 「あれに乗るんだよ!」

 と指をさし、男の人(多分お父さんでしょう)に知らせていました。「SLもおか号」 に乗りに来たのですね。うらやましいことです。私は 一筆書き の旅なので、ここで下車するわけにはいきません。


下館駅 9:55着 9:56発

 ここで、半分以上の方が下車しました。もちろん、「SLもおか号」 に乗りにきた男の子もお父さんと一緒に下車していきました。その結果、先頭車の乗客は、私を含め5名ほどになってしまいました。
 真岡鐵道 には私も乗車したことはありますが、「SLもおか号」 にはまだ乗ったことがありません。いずれ、機会を見つけて乗ってみたいと思います。


9:57 下館−新治 間

五行川 を渡っています。


9:58 下館−新治 間

 天気がよければ、このあたりでは 筑波山 の姿を拝むことができるのですが・・、残念ながら今日は雲が厚く全然見えません。そもそも、後でよく確認したところ、筑波山 はこの↑↑写真よりももう少し右の方向でした。全然見えないので正確な方向がわからず、ちょっと外れて写真を撮っていたわけです。orz
 ちなみに、以前、天気がよい日に 水戸線 に乗ったときは、こんな↓↓感じで 筑波山 がよく見えました。


水戸線から見える筑波山 2010年2月撮影

 私は、筑波山 には2度登ったことがあります。1回目は小学生の時の遠足で、2回目は2007年に 筑波観光鉄道(筑波山ケーブルカー) に乗ったときでした。山頂からは関東平野を一望することができ、2007年のときは遠くに 富士山 が見えたのを覚えています。せっかくなのでその時の写真↓↓も載せておきます。


筑波山頂(男体山)からの眺め 2007年12月撮影

 まあ、天気がイマイチな日に乗って、「天気が良ければ本当はこんななんですよ」 なんて話をしても仕方ないのですが・・。天気が良かろうが悪かろうが、旅は一期一会であることに変わりはありません。

 (1)でも少し触れましたが、水戸線筑波山 と言えば 急行「つくばね」 のことを思い出します。「つくばね」 は、私が子供のころ 上野−勝田 間東北本線水戸線経由 で運行されていた 急行列車 です。1980年8月日本交通公社時刻表 が手元にあるのですが、それによると、当時の 「つくばね」 のダイヤは以下のようになっています。なお、急行 なのは 上野−結城 間 (赤字の部分)で、結城−勝田 間普通列車 でした。

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● 急行「つくばね」の時刻表(1980年8月)

 【下り】
 上野    1636
 赤羽    1647
 大宮    1702
 久喜    1717
 古河    1729
 間々田   1738
 結城(着) 1750
 結城(発) 1753
 川島    1758
 下館(着) 1804
 下館(発) 1805
 新治    1811
 岩瀬    1818
 羽黒    1822
 福原    1828
 稲田    1832
 笠間    1836
 宍戸    1842
 友部    1845
 内原    1850
 赤塚    1856
 水戸(着) 1902
 水戸(発) 1903
 
勝田    1909

 【上り】
 勝田    715
 水戸(着) 723
 水戸(発) 732
 赤塚    739
 内原    745
 友部    750
 宍戸    753
 笠間    759
 稲田    803
 福原    807
 羽黒    814
 岩瀬    819
 新治    827
 下館(着) 833
 下館(発) 835
 川島    842
 結城(着) 846
 結城(発) 853
 間々田   908
 古河    916
 久喜    928
 大宮    943
 赤羽    957
 上野    1009

 (*) 赤字が急行の区間、黒字は普通列車

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 これを見ると、どちらかというと、水戸線沿線の人たちが午前中に 上り で東京へ出かけて行って、夕方 下り で帰ってくるのを想定したダイヤになっていたと言えると思います。「つくばね」 は、東北本線水戸線 の間を結ぶ 短絡線 ((1)を参照) を経由していましたが、小山駅 を通らないため、その代わりなのか 間々田駅 に停車するようになっていました。当時はまだ 東北新幹線 がなかった時代ですから、東北本線 には 急行列車 が多数運行されていましたが、間々田駅 に停車するのはこの 「つくばね」 だけでした。
 そんな 「つくばね」 ですが、「写真を1枚くらい撮っていなかったかなあ」 と探してみたところ、1枚だけありましたので載せておきたいと思います。


急行「つくばね」 東北本線 久喜−東鷲宮 間 1984年12月ごろ撮影

 ご覧のとおり、懐かしい 455系 です。ちなみに、これは 上り「つくばね」 です。 単に 455系 というだけなら 「まつしま」「あづま」 などの可能性もありますが、2号車グリーン車 が連結(*)されていますので 「つくばね」 と判断しました。

 (*) 当時の 「まつしま」 や 「あづま」 は、グリーン車 は 4号車 に連結されていました。

 時代が進んで便利になったこともたくさんあるはずなのに、

 「ああ〜、もっと乗っておけばよかったなあ」

 とか

 「ああ〜、こんな列車がまた走らないかなあ」

 とか思ってしまうのでは、どうしてなんでしょうね。

 すみません、話が脱線しすぎました。以下、今日(6月29日)の旅に戻ります。


新治駅 10:01発

10:03 新治−大和 間

 目の前の池は、大池 といいます。
 私は乗る方ばかりですが、撮り鉄 の人なら、この 大池 とからめて列車の写真を撮るのもよいかもしれません。


大和駅 10:05発

 玉戸駅 のところでも書きましたが、1988年に開業した 水戸線 の中では新しい駅です。


10:06 大和−岩瀬 間

10:08 大和−岩瀬 間

岩瀬駅 10:10発

 この 岩瀬駅 には、かつては 筑波鉄道 も乗り入れていました。筑波鉄道1987年(昭和62年)3月31日限り廃止 になってしまいましたが、それは 日本国有鉄道 の最後の日でもありました。筑波鉄道 のホームは、この↑↑写真に写っているホームのさらに奥にあったのではないかと思います。残念ながら、私は 筑波鉄道 には乗ったことがありません。当時は高校生でしたから、乗りにこようと思えばこれないわけはなかったと思うのですが、今思えば、当時は人並みに部活や恋愛(といっても片思いですが)などに忙しかったんでしょうねえ。ああ〜、俺のバカバカバカ!


10:12 岩瀬−羽黒 間

羽黒駅 10:15発

隣のホームに、上り 小山行き が到着しました。



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