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南海電鉄 乗りつぶし (1日目)(2013年8月15日)(3)
(高野線、鋼索線、泉北高速鉄道、南海本線、高師浜線、水間鉄道、空港線、多奈川線)
〜高野線(3)〜

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 難波駅 5:06発各駅停車 に乗車し、5:50、終点の 河内長野駅 に到着しました。難波駅 から 高野線 の終点である 極楽橋駅 まで 営業キロ63.6km ありますが、そのうちまだ 27.1km しか乗っていません。つまり、まだ半分も乗っていないわけです。さすがは、高野線 でなかなか乗りがいがあります。まあ、今日明日の2日間、たっぷり時間はありますので、あせらずのんびりいきましょう。というわけで、橋本行き に乗り換えますが、やはり 各駅停車 です。


南海電鉄 高野線 各駅停車 橋本行き 河内長野駅 5:54発

 この車両は、6000系8両 です。
 なお、車両の形式については、先頭車の車番を確認してそれをもとに判断しています。もしかすると、後ろの方には他形式の車両が連結されているかもしれませんが、そこまでは確認していません。この件については、この先乗車する他の列車でも同じです。


5:54 河内長野−三日市町 間

 急行 難波行き とのすれ違いです。
 ちなみに、あの列車に乗車すると、難波駅 には 6:22 に到着します。


5:55 河内長野−三日市町 間

 このマンションに限らず、河内長野駅 や1つ隣の 三日市町駅、さらにその1つ先の 美加の台駅 を中心に、沿線には ニュータウン が拡がっています。難波駅 からずいぶん時間がかかったような気がしましたが、それは私が 各駅停車 に乗ってきたからで、急行 であれば 難波駅 から30分ほどですから充分に通勤圏内なのでしょう。河内長野市内 のあちこちに、ニュータウン が造成されるのも理解できます。


三日市町駅 5:56発

5:57 三日市町−美加の台 間

5:58 三日市町−美加の台 間

 前方から何か列車がやってきましたが、方向幕 に種別や行き先がちゃんと表示されておらず、よく分かりません。あとで 時刻表 を確認しましたが、該当する列車はないので、多分、回送列車 なのだと思います。


5:57 美加の台駅 に到着します

 この駅は、駅名と同じ 「美加の台」 という名の ニュータウン の最寄駅なんですが、その ニュータウン南海 が自ら開発したのだそうです。南海 って、不動産 もやっていたんですねえ。
 写真はありませんが、この 美加の台駅 を発車するとすぐに トンネル(美加の台トンネル) に入りました。難波駅 を出発してから、トンネル に入ったのはこれが初めてです。それだけ、山の方へやってきたということなのでしょう。


6:00 美加の台−千早口 間

トンネル を抜けると、ずいぶん長閑な感じになりました。


千早口駅 6:01発

 南海 のサイト(*)によると、河内長野駅 からこの 千早口駅 までの各駅の 乗降人員 (2012年度、1日あたり)は、

 河内長野駅 → 29,551人
 三日市町駅 → 17,128人
 美加の台駅 → 4,842人
 千早口駅  →  326人


 となっており、千早口駅 でがくんと落ち込むことが分かります。一駅違うだけで、ずいぶん変わるものです。

(*) アド南海 高野線・乗降人員
  http://www.adnankai.co.jp/appeal/kouya_passengers.html


 なお、ここでの 「千早」 とは、南北朝時代楠木正成千早城「千早」 なんですね。私が敬愛する 紀行作家宮脇俊三 は、「平安鎌倉史紀行」 の中で 千早城跡 を訪れています。もう一度読み返してみたのですが、その際、宮脇氏近畿日本鉄道 長野線富田林駅 から バス千早城跡 に向かっていました。駅名こそ 「千早口」 ではありますが、千早城跡 へ行きたいなら、富田林駅 かもしくは 河内長野駅 から バス が便利なようです。


6:01 千早口−天見 間

 また トンネル に入ります。先ほどの 美加の台トンネル もそうですが、この辺りの トンネル複線化 の際に新たに掘られたものなんだそうです。複線化 されたのはわりと最近のことで、

 三日市町−千早口 間 → 1984年(昭和59年)3月
 千早口−天見 間 → 1983年(昭和58年)6月

 とのこと。単線 だった時代の 線路跡 もところどころ残っているようなんですが、残念ながら、今回は列車に乗るだけでそちらまでは手が回りません。横浜在住 の私にとって、さすがにここまでしょっちゅうやってくることはできませんが、もしまた来ることができたら、線路跡 もめぐってみたいなあ、と思います。


天見駅 6:03発

 大阪府 なのはこの駅までです。
 次の 紀見峠駅 からは、和歌山県 になります。


6:05 天見−紀見峠 間

 紀見峠トンネル に入ります。(細かいことを言うと、下り線新紀見トンネル で、 上り線紀見トンネル なんだそうです。) この トンネル の中で、大阪府 を出て 和歌山県 に入ります。昨日から 大阪府 の中をやっちへこっちへと移動していましたが、しばし 大阪府 ともお別れです。


6:06 天見−紀見峠 間

 紀見峠トンネル を抜けました。もう 和歌山県 です。私が 和歌山県 にやってきたのは、2002年に 紀州鉄道 と当時まだ健在だった 有田鉄道 に乗りに来て以来、11年ぶりということになります。ずいぶんご無沙汰をしてしまいました。


紀見峠駅 6:07発

 ここは 和歌山県橋本市 なんですが、このあたりからでも 大阪方面 へ通勤する人がいらっしゃるんですねえ。Wikipedia を見ていたら、「和歌山府民」 という言葉が載っていてちょっと驚いてしまいました。私は 埼玉県 の出身なので、「埼玉都民」 には子供のころから馴染みがありました(実際、私の父も東京へ通勤していました)が、それと似たようなものなのでしょう。


6:08 紀見峠−林間田園都市 間

林間田園都市駅 6:09発

 この 林間田園都市駅 は、南海橋本林間田園都市 という ニュータウン の玄関口になっています。名前の通り、そのニュータウンも 南海 が開発したのだそうで、南海 も結構がんばってるんですね。


6:10 林間田園都市−御幸辻 間

 今日も天気には恵まれました。そのおかげで、進行方向左側は 太陽 の光をもろにうけとても眩しいです。今日も暑くなりそうです。列車に乗っているだけとはいえ、やはりあまりにも暑いのはしんどいですね。まあ、暑い季節だからこそ、夏期休暇で旅行に出かけられるのですが。


6:11 御幸辻駅 に到着します

6:13 御幸辻−橋本 間

 車両基地(小原田検車区) のそばを通過しています。手前の車両は、特急「りんかん」 に使用されている 11000系 ではないかと思います。高野線 には、難波−極楽橋 間「こうや」 と、難波−橋本 間「りんかん」 の2種類の 特急列車 が走っています。特に 「こうや」 は、子供のころに持っていた鉄道の本にも載っていて、当時と車両は違いますが、いつか乗りたいなあ、と思っていました。ですが、今回は日程の都合で、残念ながら 「こうや」 にも 「りんかん」 にも乗れません。いつになるかはわかりませんが、次の機会にはぜひ乗りたいと思います。


6:14 御幸辻−橋本 間

 進行方向右側に、JR西日本 和歌山線 の線路が合流してきました。
 まもなく、終点の 橋本駅 に到着します。


橋本駅 6:15着

 終点の 橋本駅 に到着しました。高野線 はまだ続くのですが、この列車はこの駅が終点なので、またもや乗り換えなくてはなりません。


橋本駅

 隣は、JR和歌山線 のホームです。私が初めて 和歌山線 に乗ったのは、もう30年も昔のことで中学2年生のときでした。その時は 和歌山駅 から 京都駅 まで 和歌山線経由 で運行していた 急行「紀ノ川」 に乗車したのでした。もちろんこの 橋本駅 も通り過ぎているはずですが、さすがにそのときのことは覚えていません。その後、大人になってからも、1997年に再度、和歌山線 に乗っています。よって、この 橋本駅 にやってきたのは、その時以来、16年ぶりということになります。中学生のときも、16年前のときも、この↑↑写真に写っている JR の方のホームを通ったわけです。
 和歌山県 にやってきたのが 11年ぶり で、この 橋本駅 にやってきたのは 16年ぶり なわけですが、それ以外にも日本中のあちこちにずいぶんご無沙汰してしまっている路線や駅がたくさんあります。日本中に乗りたい路線がたくさんあるにも関わらず、お金の都合などもあり、そう頻繁に遠出ができるわけではありませんのでどうしてもそうなってしまいます。宝くじ でも当たればよいのですが、そもそも 宝くじ を買うお金もないので当たりません。



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